速度、が奪うもの。
今月末、ちょっと山に登ることになりまして、日々ウォーキングに励んでいます。
先日は自宅から箕面の滝まで歩いてみましたが、普段通っている道でも、車に乗っていると気付かないような発見がたくさんありますね。
歩道に面した畑でプチトマトが実をつけていたり、

その隣でキバナコスモスが咲いていたり。

自宅から5km程度と近いにもかかわらず、暑い夏には避けていた箕面の滝でしたが、登ってみると実に涼しいんですね。
何でも「街なかより7度も涼しい」のだとか。
川遊びをしている家族連れもたくさんいて、今度は息子も連れていってあげたいぞと。
マイナスイオンが飛び交っているのが分かる、ような気がします。

滝を見て神々しいと思うのは日本人ならではの感性でしょうか。

というわけで今日の本題です。
昨年出張のため高知まで車で移動したのですが、結構な山の中を走るんですよね。
そのうえ叩きつけるような雨に降られ、まさに大自然の脅威に触れながらの移動でした。
今でこそ自動車で80キロとかいうスピードで駆け抜けることが出来ますが、たかだか百数十年前には高速道路はおろか自動車だって当然なくて、道なき道をただ歩くことしか出来なかったわけです。
生身で歩くだけでも怖ろしい深い山中で、こんな土砂降りに遭遇したとしたら完全にパニックですよ。
そうした時代に3日も4日もかけて人々が命を賭けて移動していた距離を、今僕たちはわずか数時間でまたいでしまうのです。
自然の偉大さも怖ろしさも噛みしめることなく、今私たちには畏怖すべき対象が存在しません。

飛行機や船、電車に自動車。
交通手段の登場と発達によって、人類はたくさんの時間を得ることになりました。
にもかかわらず、日々は疾風のように過ぎていく。
私たちは本当に豊かになったと言えるのでしょうか?
面倒なことほど価値がある。
断定こそ出来ませんが、人生にはそんな側面も確かにあります。
省略することによって得られるものにばかり目が向けられがちなご時世ですが、逆に失われるものに思いを馳せることも必要なのではないでしょうか。
本来は五感で経験すべきことを、氾濫する情報が代行することは出来ないわけで、お墓参りなんかもまさにその類ですよね。
楽することばかり考えていると色んなことを失ってしまう。
悲しいのは、失っているという事実にすら気が付かぬほど鈍感になってしまうことですね。
まずはお気軽に資料請求・
ご相談ください。