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霊園の企画・開発

加登は大規模公園墓地のパイオニアです。理想の霊園の形を追求し、時代のニーズにこたえる新しい霊園作りを目指して。

時代の変化とともにお墓のあり方も変わります。 加登は「祀る」という人々の揺るぎない心を大切にするとともに、変遷するニーズに迅速に対応していくことも必要だと考えてきました。 その集大成として時代に先駆け加登がプロデュースしたのが大型公園墓地「川西中央霊園」なのです。 その後も加登単独によるプロデュースはもとより、 そのノウハウを活かした共同プロデュースも着実に進めています。 時代の変化を見据えながらも基本を疎かにせず、真摯な姿勢で霊園づくりに取り組んでいきます。

川西中央霊園 ご家族が一緒に過ごす時間を大切にした理想の大型公園墓地。

川西中央霊園は、1984年(昭和59年)に初めてプロデュースした大規模公園墓地です。ご家族が一緒に過ごせるようにというコンセプトのもと、自然との調和を重視し、明るく開放的な霊園としてオープンしました。当時の霊園としては珍しい砂利を使わない参道や数多く配置された水くみ場、墓参用無料送迎バスの運行など、お参りしやすさを徹底的に考慮しました。地形を活かした花時計や現代美術の作家による高さ9mの「トワ・ストーン」は霊園のシンボルとなっています。

川西中央霊園のシンボルTOWA STONES(とわの石)
日本の代表的な造形作家、今井祝雄氏によるトワ・ストーンは、少しずつねじりながら積み重なった石が、上昇する動きと時間の進行を暗示させ、天と地をつなぐ架け橋をイメージしています。
「TOWA」は永遠の意。またToward(~の方へ、~に向かって)、Tower(塔)をも想起させる、
天へのイメージ。

はびきの中央霊園 ロケーションを活かした先進のデザイン。

広大なロケーションを全面に活かした設計で1985年(昭和60年)に開園した「はびきの中央霊園」は、自然との調和を実現し、またメインストリートにインターロックを使用するなど、その高いデザイン性が先進の大型公園墓地として高い評価を受けました。また、羽曳野周辺は権力者達がこぞって古墳を建てた古来からの聖地でした。応神天皇陵に代表される古市古墳群の一つがある当霊園では、古墳の保護にも務めています。

四条畷霊園 「あおぞら」の開放感から発想された霊園づくり。

大阪市内から30分圏内という場所に位置しながら、自然と静けさに恵まれた環境が好評を博し、2003年(平成15年)には全面バリアフリーの「あおぞら」地区が開放されました。丘陵地にもかかわらず、平坦な土地形状を活かした明るく開放的な区画で、幅5mのメイン通路を配した贅沢な設計となっています。区画付近まで運行する無料送迎バスや、花屋を併設するなど、ゆとりを持ってお参りできるように考えられています。

大阪泉北霊園 培ったノウハウを結集・昇華させた先進のスタイル。

2011年(平成23年)に開園した、最新の大型公園墓地です。30年近くにわたり加登が集積したノウハウのすべてを惜しみなく注ぎ、全国でも類を見ないスーパーバリアフリー設計を採用。駐車場を含め、園内における一切の段差を排除し、参道には滑りにくく高級感漂うタイル舗装を施しました。霊園の西端には泉北の町並みを一望できるウッドデッキを配し、管理棟には法要施設の他、キッズスペースも設置。すべての方に優しい環境を整えた、公園墓地の現在形と呼ぶに相応しい霊園です。

株式会社 加登TOKYO

関西での実績と経験を関東エリアで活かす。

関西圏で培ったノウハウと実績は、関東エリアでの霊園開発にも活かされています。「鎌倉材木座霊園」を始めとする「横浜メモリアルガーデン」「戸塚長沼霊苑」など、都心からのアクセスや景観、洗練された霊園づくりが関東圏でも好評を博しています。
1998年に「株式会社加登TOKYO 横浜営業所」を開設、2005年には東京都港区に移転し「株式会社加登TOKYO 東京支社」となりました。

新横浜中央霊園 次世代をも見据えた、ハイクラスな安らぎの演出。

2012年(平成24年)1月開園。加登TOKYOとしては初の総合プロデュースとなる大型公園墓地です。横浜の市街地にありながら2,000区画を超える規模を誇り、園内はすべて段差のないバリアフリー設計を採用。車でのお参りを考え、100台超を収容できる駐車場を完備しています。一流ホテルのロビーをイメージした管理棟には、エレベーターや法要施設などを配し、単なるお参りの場所とは一線を画した、ハイクラスな空間をご提供しています。

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